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街写真のあり方

昨日、なぎら健壱の『町の後ろ姿 都電沿線2006年夏』、
今日はイジスの『少年の日々』がそれぞれアマゾンから届いた。

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なぎら健壱町の後ろ姿 都電沿線2006年夏』(表紙)


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IZIS少年の日々』より


なぎら健壱のは第二写真集でその前の『東京のこっちがわ』は既に手にしていた。
イジスは写真集自体少ないが、数少ない中でもこれはアンソロジーなのであまり気にしていなかったのだけれど、イジスは好きなのでまあ買った。

どちらも街写真と言えば街写真である。お散歩写真、あるいは街角スナップである。

で、あらためて街角スナップについて考えた。

僕も写真に興味を持ちはじめた頃、撮ったのは街角スナップだった。ずっと街角を撮り続けていた。それでそのうちなんだかむなしくなった(笑)。

写真を撮る人はだれでもどこかで一度むなしくなったり、もうやめようかなと思ったりすると思うんだけれど(長く続けているとね)、で、そのときにいろいろ考えたことがこの二冊をみて、昨日今日と頭を駆け巡っている。木村伊兵衛とか桑原甲子雄とかもろもろ浮かんでくる。

え〜っと、まとまらないのでまた後日にします。
とにかくなぎらはどうなんだろうと思っており、イジスはいいなあと思っています(笑)。その違いは何なのか。え〜っと・・・ということで。

とにかく写真にとって、「街角スナップ」っていうのは重要な問題ですよね。


ではまた明日。




20:19 | 写真論 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

シリーズ『額裝礼讃』(その5:最終回)

写真立てについて綴るシリーズもひとまず終えます。最終回。

最後に三つ。掲載します。

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EOS 5D : EF50mm F1.8 : f/1.8
これも百円ショップで買いました。ガラスでなくアクリルで安っぽいですが、デザインは気に入っています。娘がひろってきた石やドングリを並べると似合いますが、つまりそういうデザインということなのでしょう。イノセントという言葉がかなり支配的で(笑)、ここにこだわると入れる写真も難しくなるので黙殺しています。

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EOS 5D : EF50mm F1.8 : f/1.8
シンプルで「写真を選ばない写真立て」も持っていないとたいへんです(笑)。

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CONTAX Aria : Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.4 MMJ : f/2.0
これはいい値段でした。それでも雑貨屋でよくみかけるようなものですが。この当時は写真が入っていませんでしたが、今はモノクロが入ってはいます。が、シックなこの写真立てに見合う写真はなかなかなく、かなり写真を選ぶ写真立てです。難易度・高。



以上三つです。まだまだありますがまたいつか。
中に入れている写真は娘のが多くて我ながら・・・・ですが。

よく言及されていることですが、欧米の映画を見ていると、実にたくさんの写真立てが並べてある部屋やオフィスのシーンが出てきますね。そして実際もそういう傾向があるようですが、日本とは対照的です(最近はそうでもないか)。

それがなぜかというのは一口に言えば文化の違いということでおさまりますが、どうしてその違いがあるのかと踏み出せば、やはり生活の(精神の)余裕と「公に対する私事の優位」につきるのでしょう。

ブログは日本人の「私事の優位」を拡大しているように思えますが、ネットという閉じた世界での公開にすぎない。生活や文化の習慣変化にまではけっきょくつながっていないように思います。

ブログで主張するように、一人ひとりが家庭で、学校で、職場で、主張するようでないと日本は変わりませんね。少なくとも政治は。変わることを必要と感じていない人にはピンとこないかもしれませんが。

写真立ての話しでしたが、写真立てにも文化があり、政治がある。暮らしの一挙手一投足に政治があるということの意味は、たとえばそういうことなのでしょうね。


11:10 | 「写真立て」について | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

シリーズ『額裝礼讃』(その4)

写真立てについて綴るシリーズの四回目。

ステンドグラスの装飾がきれいで、女性向けの趣味に近いけれど(お店もレディースの雑貨屋だったけれど)、思わず買った。

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EOS 5D : EF50mm F1.8 : f/1.8

買ってはみたものの、この写真立てに似合う写真がなかなかないので未だに中身がない。どんな写真だと似合うのか見当もつかない。たぶん、ステンドグラスと同系色の、色のきれいな、色が魅力的だというようなカラー写真あたりがいいんだろうな。

いろいろ入れてみて試してみればいいんだろうけれど、めんどうでそのままになっている。でもかわいい写真立てではある。

ということで、とりあえずそのままオブジェのようにして飾っている。

ちなみに僕なら気になるので書いておくと(笑)、はじっこに写っているのは以前話題にした妻のペンタックス SPです。ストロボつけてこれもオブジェになってます。



07:03 | 「写真立て」について | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

シリーズ『額裝礼讃』(その3)

写真立てについて綴るシリーズの三回目。

百円ショップに行くと、実にたくさんの写真立てがある。
その品揃えだけでなら、文具店や画材店、カメラ屋などにも勝るのではないか。

その百円ショップで買ったのがこの写真立て。

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EOS 5D : EF50mm F1.8 : f/1.8

銀色なのだが、金属なんかではなく、木製に安っぽい銀の塗装である。
その安っぽくすすけた感じがなんとなくよくて買った。

正方形のフォーマットの写真立てである。
正方形はたしかこれ以外にもう一つしかなく、やはり正方形は買うのに躊躇する。写真を正方形にカットするのもつらい。スクエアフォーマットの写真をそもそも撮っているというんだったら楽しいんだろうけれど。

百円ショップの写真立てにはアタリハズレがあり、ガラス部分もプラスチックやアクリルだったりして、写真を入れた時の見え方がガラスとくらべるとわるかったりする。おまけにやっぱり壊れやすい。

よほど吟味した上で買うべし。

この写真立てはよかった。いいでしょ。100円です。100円。

(って、どうしてこんなに安いのかを考えると萎えるけれど)。


00:29 | 「写真立て」について | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

シリーズ『額裝礼讃』(その2)

写真立てについて綴るシリーズの二回目。

この写真立てはH(ハイビジョン)サイズ用の額である。

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CONTAX Aria : Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.4 MMJ : f/2.0


ハクバから出ていて、フチは金属で重みがあり、立体のマットになっていて立派である。値段もそこそこしていたと思う。

とにかくHサイズの額は、APSカメラ全盛の時代はともかく、その後は急速にお店の棚から消えていった。そのさなかに僕はCanon EOS IXEを気に入って使っていたわけだから(前出:2月27日付など)、当時も不安でこの写真立てなんか三つほど買い込んだりしていた。

今もあるのかもしれないが、ハクバのHPカタログにはないようだ。APSは今となっては超少数派だとしても、Hサイズの写真立てがないというのは困りものだし、さらにはPanasonic LX2のユーザーである僕らは現役なわけだから困る。メーカーは少々無責任ではないか。

そういえばHサイズ用のアルバムというのも消えていったよな。




04:22 | 「写真立て」について | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

シリーズ『額裝礼讃』(その1)

『銘機礼讃』と題してカメラについて書いているシリーズと、「カメラバッグ」について書いているシリーズ物の第三弾として、「写真立て」について、これから数日書いていこうと思う。

カメラや写真のブログでも、「写真立て」については案外語られていないのではないか。
でも「写真立て」というものも、なかなか魅力的なカメラにまつわる道具類と思われる。

写真立て・額(額縁)・フォトフレーム・・・・・案外に類語が少ないなあ。その行為を「額裝」とまあ呼ぶとして、額装することは楽しいし、そのための額縁や写真立てを選ぶのも楽しい。


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CONTAX Aria : Carl Zeiss Planar T* 50mm F1.4 MMJ : f/2.0


「写真立て」のことを書こうとして、まずは写真立ての写っている写真はないかと探してみた。あらためて写真立てを撮ったりするのは面倒だから、たまたま撮っていたというものをアップしていきたいと思う。上の写真はコンタックスの一眼レフ、アリアのために試写した一枚から。


よく見かけるし、だから珍しくもないが、これはお気に入りの写真立ての一つである。

写真立てもいろいろあるが、「組写真」で飾れるなあと思って、何を入れるかはともかく買った。

けっきょく、娘の育ちを誕生の最初の一枚から組んで、飾っている。

左右の開き方でこの写真立てはデザインが変わる。観音開きにしているが、左右を前後に互い違いに開くと、またずいぶん違った印象になったりする。開き方で安定感も変わる。

枠組みも丈夫な材でできており、重さもあり、しっかりしたつくりである。

中身の写真をどんどん変えていく写真立てというのもあるが、この写真立ては、これはもうこのまま何十年とほうっておこうとおもっている。時とともに、娘が大きくなって、この写真の像が遠い姿になったとき、味が出ることだろうと思う。

この五枚の写真で一つの組写真としてそのように完結させたい。



20:09 | 「写真立て」について | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

写真はみる人のもの、あるいはキャプション派か。

写真の語り部たち』(澤本徳美ぺりかん社)を読了。
近現代の写真史に名を残しているカメラマンたちについての評論。
澤本徳美という人をこの本でしか知らなかったが、『コマーシャル・フォト』や『フォトテクニック』での連載が収録されているという。

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EOS 5D : EF50mm F1.8 : f/1.8


難しい表現に逃げず、率直に、暖かく、そして平凡に、世界の写真家を寸評している。その平凡さは人のよさに由来しているようだが、退屈で、あらたに眼を開かせてくれるというところが残念ながらなかった。

おもしろかったのは、アンドレケルテスのところで、「憂鬱そうなチューリップ」と題された写真についてのエピソード。
この写真の鑑賞を新聞に書いた澤本が、後に自分の鑑賞とは全然違った(ある意味正反対の)心情で実は撮られていたということを、他の人の指摘と、そして撮影者であるケルテス自身の口から知ったということを率直に記している。

写真に込められた真意を理解できなかったと、自分の不勉強を恥じるといった主旨のことを澤本は続けて書いているが、そんなに恐縮することもないと思う。

写真が撮影者によってどんな気持ちで撮られたかなど、第三者にはわかりようもない。もちろん報道写真やなんかのことではない。

やはり写真も、撮った人とそれをみる人との違いは、どちらも尊重される。あらゆる芸術がそうであるように、放たれた後は、享受者のものだ。
そして享受者の楽しみは、どのように享受したかのお互いの交流だ。その時、撮影者の真意もまた、一つの享受としてレファランスしたくなるというものだろう。そしてそれは模範解答ではない。

澤本は自分が感じたことをそのまま撤回することなく自分はそう感じたのだと公言すればいいのにと思う。そういうところが人がよい・・・と思った。

撮影者は、誤解されたくないのだったら、キャプションを。

この態度の違いが、写真のあり方をまずは二分する潮流となっているか。これを自覚していないと、撮っている写真がなんだか自分の中で混乱してくる。今の自分がそうで、『写真の語り部たち』は、だからこのエピソードが印象に残った。




07:06 | 写真論 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

一本どっこ

前述してきたように、妻と子どもたちが今日帰省していった。
これから二週間、一人でのんびりできる。
とりあえず、妻の趣味ではないが僕は見たかったという映画をどっさりかりてきた。

週末にかけて、ゆっくりこれからの過ごし方を考えようと思う。
無沙汰をしてしまっている友達と深夜まで話し込んだり、旅ももちろん、仕事にもじっくり取り組める。

子どもや妻を言い訳にして、時に自分自身に向き合わないでいた自分と対座する、一本どっこの毎日がはじまった。

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EOS 5D : SIGMA24-60 : 60mm f/2.8
01:33 | 家族 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

『M型ライカとレンズの図鑑』

出たばかりの『M型ライカとレンズの図鑑』(エイ出版社)を読了。「読む」というより見るものだが・・・。

装丁はいいし、コンテンツはコンパクトによくまとまっていて、カラーも多いし、中身のレイアウトも記事も(おなじみの内容だが)、いい。

今の自分のカメラライフにはライカは向かないからいいけれど、垂涎の域にあるのは確かで、まあ見ていてとにかく楽しい。カバンの隅に入れておいて、時間が空いたら喫茶店に入って暇つぶしにページをめくるのにちょうどよかったり。

M6NOCTILUXノクチルックス) 50 F1.0なんか付けて、首からさげて(重いけど)、ぷらぷら歩いてみたいなあ。

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EOS 5D : EF75-300 F4-5.6 USM : プログラムAE(95mm・f / 5.6・1/125):椿の葉の群生。椿の葉は力強い。厚手の葉と濃い緑。なにかとつい撮ってしまう。



23:48 | その他のカメラについて | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

知育玩具と子育て

親戚から「KAPLA」(カプラ)というおもちゃをいただいた。
フランス生まれのカプラは、単純な一枚の板だけという、ブロック系のおもちゃ

LEGOレゴ)なんかよりは(レゴには悪いけれど)、ずっとシンプルだし、木片の見た目や手ざわりはプラスチックなんかよりずっといい。しかしいい値段である。さっそく娘と自由気ままにつくってみた。なかなか楽しい。

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EOS 5D : EF50mm F1.8 / f 3.2


この手のブロック系おもちゃは、それこそレゴにはじまって無数にあるし、これらを「知育玩具」というのかどうかはよくわからないが(たぶん知育玩具なのだろうけれど)、こういうものにはほとんど興味がない。
早い話しが、知育なら、外で遊ぶに越したことはない。知育を冠にするおもちゃはどこか感じが悪い(笑)。大人のそうしたねらいが造形にあらわれていて美しくないからだ。

キャラクターのおもちゃなどは有害玩具だと言われるが、知育玩具ならいいかというと、果たしてそうだろうか。むしろキャラクター玩具などの方が、ねらいが純粋であり、目的がはっきりしていて健全なのかもしれない。

もう少しわかりやすく言えば、キャラクター玩具に変わるものはないが、知育玩具に変わるものは生活の中にある。この違いが、重要なのではないか。

といっても、キャラクター玩具に込められる子どものアニミズムやごっこ遊びなら、おかあさんが端切れでつくった人形や、欠けた瀬戸物が、昔々はそのかわりになっていたのだけれど。

もちろん、キャラクター玩具を支持するつもりもない。子ども番組とタイアップで量産されるそれらの醜悪ぶりもよくわかっている。以前書いたように(「子どもたちが立ち去っていくその前に」2月3日付)、ゲームなども含めて、国の経済がこれだけ子どもを喰いもにしている国も珍しい。

外国のおもちゃ売り場と日本の売り場を比較すると、あまりに違うのに驚かされる。ヨーロッパのおもちゃ屋には落ち着きと優しさがあり、この気風を継ごうとする日本の玩具店はまだまだ少ない。自分の国だけ見ていると、子ども文化の異常さに気がつかないことが多い。

昔と違って、どこにでも落とし穴が掘ってある今の時代では、子育てはやはり困難さを伴う。自然に育てればいいんだというのは楽観的だろう。

ほっといても子どもが育つという条件そのものが今はもうない。それで知育玩具ということになるのだけれど、ねらった子育ては花はついても実はならない。




19:55 | 教育 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

大切なことは出発すること

「旅に出たとしても」(3月14日付)に、「大切なことは出発すること」というコメントをいただき、励まされました。そうだ、そうでした。

このブログのタイトル「あるくみるきく」は、民俗学の宮本常一(みやもとつねいち)が出した雑誌のタイトルから拝借している。宮本常一が歩いた場所を日本地図に赤で印を付けると、日本中が真っ赤になると言われる宮本は、「旅する巨人」と評された(佐野眞一旅する巨人』)。
宮本常一にも申しわけない泣き言を言っていたものだと思い返された。

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Panasonic LX2 [ 3:2 ]


仏教では、朝一歩家を出たならそこからもう旅は始まっているのだと説いている。朝家を出て、会社に行き、帰宅したその一日でも、それは旅であったはずだという境地だ。

そういう境地は難しいので、せめてカメラを持って、教えに近づく。「冬のカメラ あるくみるきく」とは、そういうことだったはずだ。

「大切なことは出発すること」。コメント、ありがとうございました。

僕らは毎朝、旅立っている。




23:40 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

壁面のタイポグラフィ

風景だけでなく、街の視覚としてもどれだけ窮屈な暮らしをしているか、北海道へ行くとよくわかる。

数年前の北海道の旅での一枚。街の喫茶店の、広い壁面のタイポグラフィ。

なんだか気持ちがせいせいする。

月末の休暇の件だけれど、やっぱり行くなら北海道かなあ。

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EOS IXE [ APS 16:9 ] / SIGMA24-60






23:54 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

生活していくということは

昨年入園した娘も満一年がすぎようとしており、担任の先生へお別れのプレゼントをあげようと、午後から買い物に出掛けた。

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EOS 5D : EF50mm f 1.8


生活することに、映画の一コマのような完璧な画面構成など求めてはあぶない。まるでこの写真のように、どこかが整わないものなのだ。そういうふうに自分を励ましたい。整わない写真に自戒とエールを込めて。
23:02 | 写真論 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

旅に出たとしても

自分のであれ、人のであれ、飛行機の窓から撮った写真というのを見ていると、機内の、狭いけれどもなんだか特別なあの座席の空間、そこにいる自分、膝の上のカメラ・・・高揚感で胸いっぱいになっている旅の気分が思い出されて、なんだか甘い気持ちになってくる。

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EOS IXE [ APS 16:9 ] / SIGMA24-60

月末にまとまった休みがとれそうで、妻は実家に帰省するし、どこかへ一人旅でもしようかと思ったりもするのだけれど、5Dを購入してから一泊の温泉はあったが本格的な旅もしてないし、出掛けようかとも思うけれど、旅から帰ればまたお決まりの日常が待っているだけだし、旅に出たからといって人生の何かが劇的に変わるわけでもないし、旅の途上はまあ楽しいが、でもけっきょく一時の気晴らしに過ぎないしな・・・などと後ろ向きな気分でいる。大量の写真を撮って帰ってくるだけだしな。かといって妻も子どももいない長い休暇をただぼんやりと無為に過ごすかと思うとそれもそれだしな。
なんだかそのことを考えると欝になってくる。欝だ。どうしようかな、しかし・・・・。

23:12 | 未分類 | comments (3) | trackbacks (0) | page top↑

『木村伊兵衛の眼』を読んで

先月出版された『木村伊兵衛の眼』(平凡社 コロナブックス)を読んだ。木村伊兵衛について書くのはたいへんなので、とりあえず一つだけ。


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EOS IXE [ APS 16:9 ] / SIGMA24-60


自分の撮るものは棚にあげるが、やっぱり僕は写真になんらかの意味を求めてしまう傾きがある。
ところが、十年くらい前だったか、木村伊兵衛が(たぶんライカフレックスSLで撮ったと思われる)、晩年の病床で部屋の時計を撮ったという写真を見たとき、壁にかかったただの時計のその写真が、とにかくとても気に入って、印象に強く残ったということがあった。

この体験は、僕の写真観に大きな影響を与えている。
少なくとも、その写真は僕にとっては「意味を持たない写真」の範疇に属する。にもかかわらず、どうしてこうも自分の心をとらえるのか。フォトジェニックというのはこういうことなのか。

おおざっぱに言えば、「木村伊兵衛より土門拳」というところが僕の好みなのだが、その時計の写真は、僕の写真論をそれでいいのかと時々、繰り返し、問い返してゆさぶる。


木村伊兵衛の眼』は、よい本でした。木村が使用していたライカやレンズが載っており、いいあんばいの機体になっていて、ふたたびライカが欲しくなったりして困った。




23:26 | 写真論 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

OSとブラウザー

あらためて、ブログや写真などの見え方の問題としての、OSとブラウザー問題。
僕自身はラップトップパソコンを一台しか持っておらず、プライベートも仕事も何でもこれ一台。
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MacBook Proの17インチ。これをGAPの5年くらい前のバックパック(お気に入り)に入れて(ジャストサイズ)、職場へも出張先へもファミレスへも、「まるで晩秋のリスのようにせっせと運んで」(by 村上春樹)、使っている。


ネットのブラウザーはずっとSafariで、最近Firefoxを試用中。なのだけれど、職場のデスクのパソコンで自分のブログを見て、お決まりだが、びっくりした。

かなり違う。画像は巨大で、フォントも大きい。こんなに大きく自分の写真が載っているのは恥ずかしいし、レイアウト上も美しくない。

多くの人が口の端にしているこの手の問題だが、自分のブログで改めて実感した。
う〜ん、なやましい、これは。 いや、ほんとに。

せめて写真だけでもサイズを縮小しようかと思ったけれど、僕のブラウザーでは写真は小さめでフォントも僕自身のノートのフォント設定でちょうどいい。写真も文章も遠慮がちに載っているんです。PDFにして配布したくなってきた(笑)。



23:25 | 未分類 | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

はじめてのカメラ

美大出身の妻が、学生時代に大学の先生から15000円で譲り受けたという。
ASAHI PENTAX SP。スーパータクマー50mm f1.4付き。
フラッシュとアダプターシューが付属していた。

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Panasonic LX2 : 1/30 f 4.0 −1補正  [16:9 ]


このSPペンタックス初の露出計内蔵の一眼レフとして1964年に登場している。それから9年間、ロングセラーモデルだった。

妻のSPはその露出計が動かない。電池が切れているだろうから壊れているのか確認はできない。

大学でカメラの授業があり、それで先生から譲ってもらったそうだ。暗室で現像したりしてたそうだから、カメラの経歴で言えば、僕なんかより本格的だ。
その学生時代のフランスへの旅行にもこのカメラで出掛けたという。

それはもう20年くらい前の話になるわけだが、その頃、僕は高校時代に秋葉原で買ったCHINONの35FS-Aという、現代の使い捨てカメラにほぼ近いようなコンパクトカメラで写真を撮っては喜んでいたのだった。そのカメラが僕の最初の一台だった。



23:26 | その他のカメラについて | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」に寄せて

サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」。
詞の世界が、ソングライティングとプレイにきちんとマッチしているのに感心した。
「愛」についての定義が大きな世界観で歌われている。そのようなロックは日本では少ない。

世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」。うん、「それ」に見合う写真を、この唄に負けない「それ」を撮れないものか。

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EOS 5D : EF24-85 : 85mm f 4.5






12:24 | 写真論 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

選択肢にあたらしい選択肢を加える力を

昨夜、時代劇の映画花よりもなほ』(監督 是枝裕和)を観た。
山田洋次監督の時代劇が巷を席巻しているが、キャメラの故・高羽哲夫さんを含めて身びいきにしていることは前にも書いた。けれども『たそがれ清兵衛』を隣においても、『花よりもなほ』は素晴らしい映画だった。

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EOS 5D : SIGMA24-60 : 24mm f2.8 〈雛祭りにて〉


仇討ちを求めていた主人公が、別の選択肢を手にする映画だ。
どうして主人公が別の選択肢を手にすることができたか、じっくり考えてみることがこの映画を見た人の、あとの仕事だろう。

生きることは、とりもなおさず、目の前の選択肢に、まったく別のあたらしい選択肢を加える自分の「力」に、かかっている。



12:22 | 映画 | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

雛祭りに狛犬

雛祭りのお祝いは、一日遅れだけれど、皆が集まる日曜日にした。
ごちそうの前の腹ごしらえに、着物を着せてもらって喜んでいる娘と散歩。近くの小さな神社に御詣りした。

狛犬は厄災から身を守ってくれるという。こわい顔は、だからとてもありがたい。いつもこの娘の隣にそうして居てやって下さい。

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EOS 5D : SIGMA24-60 : 60mm f2.8




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カメラバッグについて(とりあえず・・・完)

(・・・つづき:カメラバッグの話で三夜目)

なんだかくたびれてきたので(笑)、結論を先に綴ると、
すべてを満たすたった一つの完璧なカメラバッグなど存在しない・・・・と言い切っておこう。
それはなぜか。

けっきょく、フィールドの問題が残ってしまうからである(あたりまえの話に落ち着いちゃうけど)。

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EOS 5D : SIGMA24-60 : 60mm f2.8 : これはまた別のカメラバッグ。僕のカメラバッグ史の中期によく活躍した。前面のフラップだけが牛革。まるで布のようにとても柔らかい。いまでは幻の一品です。なにしろ購入時に既にメーカー不詳だったのです(笑)。MINOLTA TC-1や、CONTAX Ariaなど、小さなカメラをコソッと入れていた。


例えば次のフィールド(場面)すべてに対応するカメラバッグなどあるだろうか。

1.デイハイクに近い野歩きなどのトレッキング
2.日常の街歩き
3.旅先での街・海・山歩き
4.子どもを連れた散歩
5.テント泊のキャンプ
6.日帰りのバーベキュー
7.冠婚葬祭

自分の生活で遭遇するカメラバッグの持ち込まれるフィールドをざっとあげてみた。
単純に言って、ショルダーバッグとバックパックの二通りのシーンが混在している。この時すでに「ただ一つのカメラバッグを」という願いは矛盾を抱えていることになる。もうこれは宿命的なものだ。たとえ1〜6を乗り越えたとしても、年に数回のスーツや、7の「冠婚葬祭」となったら、カジュアルなカメラバッグそのものが無効になる。

ということで、結果的に、「何種類かのタイプのカメラバッグ」を所有することになる。
カメラバッグに限らず、カバン・バッグ類のこれは一般的宿命である。


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さて、先日購入したエーグルの前に使っていた、
「アメリカンイーグル」のバッグ(画像は前日にアップ)について。

これは主にアウトドア系でのフィールドに使った。
少々汚れても気にならない、帆布に近い布製のバッグである。

フタは金具ボタンが正式にあるが、裏側にオレンジ色のマジックテープがあってこれでとめる。一頃流行ったMA-1ジャンパーのあのオレンジの裏地とテープ、あれと同じようなものである。

前面・裏面・両サイド、四面にポケットがあり、中もサイズ違いの大小のポケットやペンホルダーなんかもある。
ノートや本、他に、旅先や街歩きで手にするリーフレット・ちらしの類いなども入れなきゃならないので、ポケットがいくつかあるのはとっても重宝した。

このバッグももちろんインナーなどないが、これには背の低いボックスタイプのインナークッションをカメラ店で購入し、その時々の入れるカメラにあわせて仕切りを移動させて、使っていた。

しかししばらく使ってみると欠点がわかってきたのだった。
いろいろ入れるにしても僕には「大きすぎた」ということと、ショルダーストラップの留め具がルーズすぎた、ということ。
特に後者はいただけない。購入する時には気がつかなかった。しばらく肩から掛けていて徐々にわかったことだった。こういうこともあるんだなと、いい勉強をした。

ということで、このバッグは「失敗例」の一つ。

今では使い道も無く、カメラのフードやキャップなど、カメラ関係の小物類を仕切りで分けて入れている。すっかり「保管箱」になってしまった。

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バッグ類を選ぶのは楽しい。しかしその割に、実は案外使わなかったりする。

けっきょく、往年の小さな金属一眼レフカメラ〜たとえばFM2とかOM3だとか〜を、細身の革のストラップでぶら下げて歩いている人の、そのいさぎよさにはかなわないのである。
そんな人とすれ違う時、「あらゆるすべてのカメラバッグ」が悲鳴をあげ、両手をあげて降参する・・・しかない。

カメラはむき身で携行する。
やっぱりこれが一番なのである。そして僕もけっきょくそれが一番多いのだ。
むき身なら、すべてのフィールドにカメラは似合ってしまう(笑)。

いや、それはわかっているのだ。わかっていて、しかし現実はデジ一だし、5Dだし、ズーム装着なら明るい単焦点の標準玉は持って出たいし。。。

こうして「カメラバッグの選択」という無限のループができあがるのである。

ひとまずカメラバッグの話題はここで「完」としたいが、とにかく前々日にご報告したAIGLEエーグル)のカメラバッグは、大活躍している。この二日間ハードに使ってみたが、欠点は依然として見つかっていない。やはり完璧である(笑)。




23:53 | バッグ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

カメラバッグのための前提条件

(前日のつづき・・・)

カメラ専用・・・ということでなしに、とにかくいつもなにがしかのカバンかバッグかデイパックは持ち歩くので、カメラもそこに入れるということにもなるが、それは「ん・・・、そうだ、ついでにカメラも持っていくか・・・」というような場合である。

だからもちろん、カメラを入れることを主にした、カメラのための、カメラ専用の「バッグ」というのも欲しいのである。

昨日購入したカメラバッグの先代がこれだった。

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EOS 5D : SIGMA24-60 : 60mm f2.8

AMERICAN EAGLEの「AEO 1977」である。
あまたあるカメラバッグのどれも選ばず、カメラ専用でない、ただのアメカジバッグの「これかい」と言われそうだが、とにかくカメラバッグという問題はやっかいなのだ。

まず第一に見た目の好み。
カメラバッグ然としたカメラバッグはどうもダメだ。カメラ用品メーカーのバッグは、いかにもカメラバッグです・・・という顔をたいていしている。
妻などに見せると、「(暗い声で、ウンほんとに暗い暗い声で)カメラバッグって感じ・・・」と一蹴である。
女の人というのは、一般的に言って、男のさげるカメラバッグ然としたカメラバッグをひどく軽蔑しているものである。

第二にそれらがたいていそうであるように「立方体」という問題。
それらはたいていクッションがきっちり入っていて、真四角である。このスクエアーさが困る。斜め掛けでも腰回りにフィットせず、体からドンと飛び出して存在し、かといって肩からまっすぐおろしても、やっぱり歩くたびに腰やおしりや太ももにバウン、バウン、とホッピングする。
型くずれしない、自立性の高い、衝撃からカメラを守る、あの立方体のバッグは、しかしその長所としての機能 故に、どうにもさげにくいのである。

第三にカメラシステムの問題。
前日に述べたように、僕は交換レンズやストロボなど持ち歩かないカメラスタイルである。それはもうそうなのだからそうなのだ。だからカメラバッグもそれを前提に選ばれる。この前提が違えば、理想のカメラバッグもまた違っていたに違いない。
だからまさしく今書いているカメラバッグについてのこの文章は「僕のカメラバッグについて」の文章なのである。
・・・ということで、めったにないが、あってもせいぜい交換レンズ一本を持ち歩くに過ぎないので(そもそもレンズをそんなに持っていないので)、大きなカメラバッグはいらない。

第四に服装との相性。
自分のファッションスタイルとカメラバッグの相性という点も大きい。
僕は仕事柄ほとんどスーツは着ない。しかしスーツを着想してもよい職業でもある。だから、スーツだったら、仕事の帰りにそのままカメラを持って散歩したりするので、カメラを入れるバッグはまず今とは正反対な方向に向かっていただろうと思う。
ところが職場でも、スーツにまじって僕はいつもシャツにチノパンである。このスタイルに合うカメラバッグは・・・ということになってしまうのである。

以上四点がカメラバッグのための僕個人の基本的な前提条件である。
ふう〜。くたびれた。
つづきはあしたに・・・。





23:29 | バッグ | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

カメラバッグ! カメラバッグ! カメラバッグ!

久しぶりにカメラバッグを買った。もちろん、5Dのためのカメラバッグ
クリスマスに買った5Dを丸二ヶ月使っていて、まだこのカメラのためのバッグを買っていなかった。

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EOS 5D : SIGMA 24-60 : 60mm f2.8

この二ヶ月はいつもCONTAXのお気に入りのストラップにぶらさげて、たすきがけにして歩いていた。長い移動では、バックパック( karrimorjura20」)に入れていた。

カメラバッグをどうするか。ご他聞にもれず、僕もいろいろためしている。

カメラバッグの話しだと思わず耳を立てるし、カメラ・写真雑誌にバッグの特集があればまず必ず目を通す。カバンやバッグの専門書にもあたってみるし、いわんやお店があれば必ず入る(今日もたまたまショップが目に入ったので入ってみたら・・・だった)。

そもそもカバン・バッグ・リュック類が、好きである。

で、購入したのは、AIGLEエーグル)の「カセショルダー」の黒。

フチやステッチ部分やショルダーの付け根、ブランドマークの部分などはレザー仕様。

両サイドにフラップ付きのポケットがあり、小物はもちろんペットボトルも入る。

ポイントは、口のところを折るとフラップのようになり、メッセンジャーバッグのようになるところである。
カタログでは口を折っても高さがあるように映ってトートのように見えるが、実際はかなり折れるので、全体の形はメッセンジャーバッグのようになる。

その口の部分はトート機能なので、口は大きく開き、ジッパーは開けたままにしておいて、すぐにカメラが取り出せる。
カメラバッグの口の部分といえば、カメラの出し入れの際にジッパーでこすりそうで意外に気を使う部分である。大きく開くのはありがたいのだ。

バッグ全体の素材は強くて厚い繊維のビニール製で、光沢と強さがあり、厚手のゴアテックスのようだ。光沢はレザーのようにも見せ、ヘビーデューティー。吉田カバンの「ライナー」の厚みは魅力的だが、あそこまでハードではない。したがって軽い。二重生地の縫製になっているのでカメラを入れてもまあ安心である。もちろんクッション級のサポートはまったく期待できないが、そこまで僕は気にならない。

カラーは黒。上記のような生地の仕様のため、5Dのボディと同じ色感なのである。ここもポイントが高い。

ストラップは調節可能で、この調節の具合にも固さがいろいろあるが、固すぎず柔らかすぎず、勝手にゆるむこともなく、かといって調節したいと思うと片手間にサッとできる程度でいい。
斜め掛けにして、バッグを体の前や後にまわすときの取り回しもスムーズ。この動きは結構大事。
ベルトの調節金具(ベルトの途中についている銀色の金具)の形と色もよい。このあたりのつくりに手を抜いたりしていない。

そのベルトを束ねるバンドが、フランスのブランドらしく国旗カラーになっていて、黒一色のこのカバンにアクセントを添えている。

とにかくポイントは、口の部分が折れてフラップになるところである。女性用のトートバッグには時々見かける造作だが、メンズではなかなかない。
かぶせ式のショルダーバッグが好みなのだが、かといってほんとのフラップは意外にカメラの出し入れにじゃまだったりする。

つまり、このバッグはトートとメッセンジャー(かぶせ式)のデザインと機能を合わせ技で両立しているのである。ここが決定的なポイントである。

僕の場合はシステムでカメラを使用しないのでインナーに仕切りなどはつけず、交換レンズを一本だけゴロリと放り込み、あとはノートや本をガサゴソ投げ入れてサクッと出掛ける。

いまのところ、まったく欠点を見いだせない。完璧である(笑)。







03:58 | バッグ | comments (2) | trackbacks (0) | page top↑

かして(その2)〜子どもの心象世界

昨日に続き、娘がLX2で撮った写真から。
娘が何を撮るかに僕が興味をもったことは昨日書いた。

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Panasonic LX2

こたつのコードである。それを被写体に真っ正面に据えるのは、「暮らし」と言えばたしかにこれもまた暮らしの写真である。
こたつのコードがこのように線を引き、くるりと丸を描いているその形も含めて、おもしろいと思って撮ったに違いない。構図の上からは、偶然にも、四隅(四辺)にかろうじてはみ出して写っているものがあり、これがあるなしでは写真の力は少し違っていただろう。

いずれにしても、娘はコードしか見ていないのだが。「ほら、見て、おもしろいでしょ」という声が聞こえる。もちろん僕は別におもしろくない。「こんなもの・・・」である。

では、同じ四歳児あたりの、他の子どもたちに見せたらおもしろいと思うのだろうか。こたつのコードがこのようになっていることが、撮るに値すると娘は思っているわけだ。

撮った人には意味のある一枚の写真。この写真を受け止める他者とはどんな人になるのだろうかと想像してみる。これは一般的な写真の一つのアポリア(難問)に属する。

01:57 | Panasonic LX2について | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑

かして

「かして」というので、娘(4歳)にLX2をかしてみた。
半押しで合焦ということもわからず撮るわけだが、
何を撮ろうとするか・・・が見所だろう。
何を彼女は被写体に選ぶのか。
ふ〜む。
暮らしを撮ると言っては撮れないでいる僕よりも・・・。

P1020542small.jpg
Panasonic LX2 [ 3:2 ]
00:48 | Panasonic LX2について | comments (0) | trackbacks (0) | page top↑